私は君を泣かせたい(1)
何を読ませたいのか私には理解できなかった
本日の議題です。
私は君を泣かせたい(1)
概要
相沢はクラスでも人目を気にしながら上手く立ち回る高校二年生。
ある日学校帰りによった映画館で同じクラスのヤンキーを見つけあまり愉快で無い気分になるが、ヤンキーが映画に感動して泣いていたのをみるにつけ、「泣かせたい」と思う様になる…という話。
登場人物
相沢羊:高校二年、周りに気を遣いながらも上手く立ち回る女子。
虎島八十:相沢と同じクラスのヤンキー、クラスで孤立してる。
ネタバレというか内容含めた感想
まずキャラに謎が無い。ヤンキーになったらなったなりのものがバックグラウンドにあって少し陰がある。 みたいな話では無く、単に抜けているだけで、ヤンキーでも何でも無い。 スカジャン着てるだけ、なんだけどその理由の説明をする気はなさそう。 ただ、借りたハンカチを何のためらいも無く返しに来るコミュ力があるなら孤立なんてするわけも無く、ただ表面上のキャラ付けをしたいだけに見える。
恣意的に孤立しているのかと思いきや普通に他の人間に絡んでいくし、その割には重い空気で近寄らせない描写があったり、かといって思いっきりクラスの中で相沢に明るい表情を見せたり一貫性も魅力も無い気がする。 百合として強くするんだったら二人きりの時私にだけ見せる表情みたいな話ではないの?
相沢の人目を気にする立ち回りの理由もあるけど一言二言いって終わりだし、こっちとしても「そうか」で終わってそれ以上の興味が沸かない。
百合なら百合で、なんとも言えない雰囲気を出したいと思っているほどには
自覚的に何か作れるような感じは受けないかな。
段々と仲良くはなっていくけど、ただ進んでいくだけの展開なら勢いとか先が気になる謎、多分この後来るであろう微妙に予想できる人気の予定調和みたいな何かしらが無いと厳しいと思う。 会話の中に面白い言い回し、見方、知見があるわけでも無いし。
ゆるい日常系だから、というのがそうしていない理由なんだとしても
これだと俺には逆に見える、何にも展開を作れないから自称ゆるい日常系っていう。
そしてタイトル、一話での導入として使ったのはわかるけどそれ以降の泣く理由に無理があるというかさすがに軽すぎて誰も泣かないでしょというのが多くてなんだかなぁと思う。 で、二人とも日によって感受性とか思考にムラがありすぎると思う。 そこで泣くならあそこでも泣いてたはずだろ。 それぐらいの根回しできるならそんな選択はしないだろ。 と。
結局、作者の中でキャラが動いてないんじゃないかと少し思ってしまった。